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東京地方裁判所 昭和36年(行)95号 判決

原告 湯沢栄作

被告 東京大学学長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

当事者双方の求める裁判およびその主張は、それぞれ別紙訴状並びに答弁書記載のとおりである。

理由

一、原告が、昭和三五年八月二六日被告に対し、「自励振動の理論」その他一編の学位請求論文を提出し、工学博士の学位の授与を申請したところ、右論文につき、昭和三六年三月一七日東京大学大学院数物系研究科委員会において、学位を授与しないことに議決され、同月三〇日原告にその旨の通知がなされたことは当事者間に争がない。

二、被告は、原告が本訴において取消を求めているのは、右委員会の議決であるとなし、かゝる議決は、学長に対する内部的意見の答申にすぎず、抗告訴訟の対象となり得る行政処分ではないから、これが取消を求める本訴は不適法である旨主張し、訴状に記載された請求の趣旨だけによるときは、恰も、本訴は、右の議決の取消を求めているかのようにみえるのであるが、右請求の趣旨に、原告主張の請求原因並びに弁論の全趣旨を参酌すると、本訴において原告が取消を求めているのは、右の議決そのものではなく、原告は、前記委員会の議決に基き原告に通知された「学位を授与しない旨の決定」の取消を求めているものと解されるところ、右の行為はいわゆる公法上の一種の確認行為と解することができるから、本訴が単に前記委員会の議決の取消を求めていることを前提とする被告の右主張は採用できない。

三、つぎに、被告は、学位授与資格の有無の判定は、学術的研究の成果を評価すると共に、研究指導能力の程度について判断することによつて行われるものであつて、その性質上司法審査に服することを相当としない事項であるから本訴は不適法である旨主張する。もとより、博士の学位は、独創的研究によつて新領域を開拓し、学術的水準を高め、文化の進展に寄与すると共に、専攻の学問的分野について研究を指導する能力を有する者に授与されるものであつて(昭和二八年四月一日文部省令第九号学位規則第三条)、博士の学位を授与するか否かの判定は、専ら学問的見地から審査判断されるところであり、法律の適用によつて決せられる事項ではないから、かゝる審査内容の当否についての判断を求める訴は、裁判所の審査権限に属しない事項を対象とする訴として不適法であることはいうまでもない。しかしながら、他方、被告も主張するように博士の学位を授与するか否かは一定の手続を経て決定されるものであつて、かゝる手続は処分の公正を担保するために設けられているのであるから、もし違法な手続によつて学位を授与しないことに決定された者は、手続の違背を理由として、当該行為の取消を訴求し得るものと解すべきである。ところで、本件訴は、原告に対する学位を授与しない旨の決定の通知書に理由の記載がなされていないという手続上の瑕疵を理由として、右決定の取消を求めているのであるから、かゝる請求の当否はともかくとして、訴自体としては、必ずしも不適法といえないものと解する。

四、そこで本訴請求の当否について判断するに、原告は、原告に対する学位を授与しない旨の決定の通知書に、理由の記載がなされていないことを違法であるとして、右決定の取消を求めているのであるが、学位の授与手続において、学位を授与しない旨の通知に理由を記載しなければならないという明文上の規定は存しないから、右通知書に理由の記載がないからといつて決定自体を直ちに違法ということはできない。

よつて、原告の本訴請求はその理由がなく、失当というべきであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 下門祥人 山本和敏)

(別紙)

訴状(抄)

請求の趣旨

昭和卅五年東京大学〈エ〉乙受第十一号事件につき昭和卅六年三月十七日東京大学がなした議決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決を求める。

請求の原因

一、原告は東京大学に対し昭和卅五年八月廿六日論文「自励振動の理論」その他一編の論文を提出し工学博士の学位請求をなし昭和卅五年東京大学〈エ〉乙受第十一号事件として受理されたが右請求は昭和卅六年三月十七日附「学位を与えない」旨議決されその通達書は昭和卅六年三月卅日(東大庶第一三六一号)送達された。

二、しかるに右の通達書の内容は単に「学位を与えない」旨の議決結果を示すのみのものであつて、何等その審議理由が明らかにされて居らないものでありまた右の通達書に対する右原告の「理由開示請求」書翰に対しても「何等変更をする意思はない」との通知を提示した点において現行法制上の観点から考えて違法的行為を形成するものである。

三、すなわち憲法第七十六条第二項同第八十一条行政事件訴訟特例法第一条同第二条等の精神から判断して現行法制上においては「行政庁における処分の最終的な決定権は裁判所の管轄に属する」ことが理解されるものであるが右の処分に対して「裁判所」の判断を求めるためにはその訴状に対して何等かの「理由」または「請求の原因」を明記する必要があるものである(民事訴訟法第二二四条第一項参照)

しかるに右の被告より提示された通達書にはそのような「理由」または「請求の原因」を記述するのに必要な「何等かの理由」の記載が欠除して居るのであつてこの点において右の通達書は不完全に作成されたものと云うことが出来従つて右の被告によつてなされた処分は右の裁判所に対する「請求行為」を不可能ならしめるものまたは右の裁判所の「決定権」に対して「侵害」を加えるものと思惟され不適当であり右の憲法第七十六条第二項同第八十一条行政事件訴訟特例法第一条同第二条に反した違法があり取消しを免れないものと云うことが出来るものである。

答弁書

本案前の答弁

原告の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との御判決を求める。

理由

原告が本訴において取消を求めておられる議決は東京大学大学院数物系研究科委員会の議決であるが、これは抗告訴訟の対象となる行政処分ではなく、又、学位授与資格の有無は司法審査の対象となりうべき事項ではないから、本訴は不適法である。詳細は後述する。

本案の答弁

請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との御判決を求める。

請求の原因に対する答弁

第一項 認める。

第二項 認める。ただし、違法行為の主張は争う。

第三項 争う。

被告の主張

一、学位授与手続

(一) 学校教育法第六八条により、大学院を置く大学は、監督庁の定めるところにより、博士その他の学位を授与することができ、学位規則(昭和二八年四月一日文部省令第九号)によれば、博士の学位は独創的研究によつて新領域を開拓し、学術水準を高め文化の進展に寄与するとともに、専攻の学問分野について研究を指導する能力を有する者に授与するものとされ(第三条)、大学院に在学しない者であつても、大学院の行う博士論文の審査及び試験に合格し、かつ大学院に五年以上在学して所定の単位を修得した者と同等以上の学力があると認められた者にも授与することができるものとなつている(第五条第二項)。しかして学位授与の具体的手続については、同規則第一一条により、各大学において定むべきこととされ、東京大学においては、昭和三三年七月に東京大学学位規則が定められている。同規則によれば、同大学の大学院博士課程を経ない者に対する学位授与の手続は次のとおりである。

(二) 東京大学大学院の博士課程を経ない者が博士の学位の授与を申請するときは、学位申請書、論文の要旨、論文審査手数料を添えて論文を学長に提出し、(第四条第一項)、論文の提出を受けた学長は、大学院協議会の議を経て、その論文を審査すべき研究科委員会を指定して、これにその審査を付託する(第六条)。研究科委員会は、通常その研究科の教官五名以上から成る審査委員会を設け(第七条)、審査委員会において論文の審査試験及び試問を行う(第八条)。審査委員会は所要の審査を終了すれば、その結果に学位授与の可否に関する意見を添えて研究科委員会に報告し(第一一条)、研究科委員会では報告に基いて審議して学位授与の可否を議決し(第一二条)、その結果を学長に報告する(第一三条)。学長は、この報告に基いて、学位を授与すべき者には、所定の学位記を授与し、学位を授与できない者には、その旨を通知する(第一四条)。なお、審査委員会で論文を審査した結果、その内容が著しく不良であるときは、試験及び試問を行わないことができることとなつている(第一一条第二項)。

二、事案の経過

原告は昭和三十五年八月二十六日被告に対し「自励振動の理論」と題する論文を提出して工学博士の学位の授与を申請した。被告はこれを審査すべき研究科委員会を数物系研究科委員会と指定し、同委員会の審査に付託し、同委員会では審査委員会を設けて審査したところ、審査委員会では論文の審査の結果、その内容が著しく不良であると認め、学位を授与すべきではないとの意見を添えてみぎの研究科委員会に報告した。同研究科委員会では審議の結果昭和三十六年三月二十四日学位を授与できないものと議決して学長に報告した。同大学事務局長は原告に対し同月二十七日付の書面をもつて、原告提出の論文について前記研究委員会で審議の結果学位を授与しないことに議決された旨を通知した。

なお、原告はみぎの通知後大学事務局に対して審査担当者の氏名及び審査の結果を通報するように求めてきたが、事務局ではこれに応じなかつた。

三、法律上の主張

(一) 原告が取消を求めておられる議決は、本件論文の審査を担当した東京大学大学院数物系研究科委員会の議決であるが、これは学長に対する内部的な意見の答申にすぎず、国民の権利義務に影響を及ぼす行政処分ではなく、抗告訴訟の対象とはなりえないものであり、その取消を求める本訴は不適法である。

(二) 又、学位授与の資格の有無の判定は学術的研究の成果を評価すると共に研究指導能力の程度について判断することによつて行われるものであつて、その性質上司法審査に服するのを相当としない事項である。

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